世界史エピソード集

本で読んだりしたエピソードを気軽にメモっていく、私自身の備忘録的なブログです。

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地域・国・王朝

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ペリクレス

【基本事項】

〔身分〕アテネの将軍・政治家。対ペルシアのためのデロス同盟のまとめ役。ペロポネソス戦争中にペストで死去。
〔生没〕BC495頃~BC429(享年66歳くらい?)


【エピソード】

★生まれつき頭が異常に長く、「玉ねぎ頭」とあだ名された(当時のギリシアのたまねぎは長かったため)。この頭を隠すためにペリクレスの像は兜をかぶった姿で作られた。
 人付き合いが嫌いで、家に閉じこもりがちだった理由もこのあたりにあるのかもしれない。

★尊大な態度でめったに笑わなかった。一生に一度も人前で笑わなかったという「伝説」もある。

★必要な戦争以外はできるだけ避け、アテネ市民を戦死させないことに心を砕いた。

★「両親ともアテネ市民の者のみ、アテネ市民として認める」という法律を作り、厳格に運用していた。しかし、後にミレトス出身のアスパシアという女性と結婚して子供を作り、その子供をアテネ市民にするために、この法律を廃止した。
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テミストクレス

【基本事項】

〔身分〕アテネの将軍・政治家。BC480年にサラミス海戦でアケメネス朝ペルシアの海軍に勝利。
〔生没〕BC528頃~BC462頃?(享年65歳)


【エピソード】

★ペルシアに勝利した後に、政敵によってアテネを追われ、逃亡の末にペルシアに亡命した。そして一年間でペルシア語をマスターし、ペルシア王アルタクセルクセス1世の片腕として活躍した。
 しかし、ペルシアとギリシアの間で戦闘が生じ、ペルシア王に協力を求められたとき、毒を飲んで自殺した。

ソロン

【基本事項】

〔身分〕アテネの詩人・政治家。「ギリシア七賢人」の一人。
BC594年に執政官となり、財産に応じて参政権を四段階に分ける改革をおこなった。
また、借金によって奴隷になる人々(債務奴隷)を救うために、借金を帳消しにする法律を制定した。
〔生没〕BC640頃~BC560頃(享年80歳くらい?)


【エピソード】

★借金を帳消しにする法律が制定されるという情報が、事前に一部の人に漏れた。そして法律制定前に借金をして土地を買いあさり、法律制定後に借金を帳消しにしてもらって大儲けした人もいた。

★僭主政治で有名なペイシストラトスとはもともと友人同士。

蘇東坡(蘇軾)

【基本事項】

〔名前〕本名は蘇軾(そしょく)。蘇東坡(そとうば)は号。
〔身分〕詩人・書家。北宋の人。唐宋八大家(唐代と宋代の代表的な八人の文人)の一人。
〔生没〕1036~1101年(享年65歳)


【エピソード】

★豚肉を似た中華料理、「東坡肉(トンポーロー)」は、蘇東坡にちなんでいる。左遷された彼が安い豚肉で食いつないだとも、突然の来客に対して、家にあった豚肉を煮て出したところ好評だったとも言われている。

カール12世

【基本事項】

〔身分〕スウェーデン(バルト帝国)王。「北方のアレクサンドロス」と呼ばれた。
〔生没〕1682~1718年(享年36歳)
〔在位〕1697~1718年(即位14歳、在位21年)


【エピソード】

★4歳になる前に馬を乗りこなせるようになっていた。

★11歳のときに銃を使って一発で熊を仕留めており、「熊殺し」と呼ばれた。

★18歳のときに、北方戦争が勃発(1700~1721年)。初戦で、カール12世の若さを侮っていたロシア・ポーランド・デンマーク・ノルウェー連合軍を破った。

★一時期不利になったが、1711年にはロシアのピョートル大帝を捕らえている。しかし解放してしまったため、後に逆転を許すこととなる。

三十年戦争

【基本事項】

〔期間〕1618~1648年
〔対戦〕神聖ローマ皇帝軍vs神聖ローマ新教徒・デンマーク・スウェーデン・フランス
〔講和〕ウェストファリア条約(1648年)
〔結果〕神聖ローマ帝国内の大小300ほどの国(領邦)が、それぞれ外交権を持つなど、神聖ローマ帝国の事実上の分裂を決定づけた。


【エピソード】

★1617年にボヘミア王になったフェルディナンド2世は熱心なカトリック信者であり、新教徒を弾圧した。翌年怒った新教徒たちがプラハ(プラーグ)の王宮に押し入り、国王の顧問3名を窓から放り投げたことがきっかけで戦争に発展した。
 窓の高さは16mほどだったが、下に干し草があったために3名とも助かり、彼らがこの事件を訴えたため、戦いが始まった。

★1631年のプラインテンフェルトの戦いで、スウェーデン王グスタフ=アドルフは、1時間で皇帝軍3万人のうち2万人を殺した。
 オランダで考案されたという、マスケット銃で前列・後列が交互に撃つ「斉射戦術」を採用したため。

ロンドン軍縮会議(ロンドン海軍軍縮会議)

【基本事項】

 1930年開催。当時の5大海軍国である、日本・アメリカ・イギリス・フランス・イタリアが参加。目的は補助艦の保有制限。


【エピソード】

★調印式の署名に使われたのは、日本のパイロットの万年筆。これ以来、パイロットの評価が高まり、業績を伸ばした。

マルティン・ルター

【基本事項】

〔身分〕神学者・大学教授・牧師・宗教改革を本格的に始めた人
〔生没〕1483~1546年(享年62歳)


【エピソード】

★「ビールは体に悪い」という演説を終えた後に、ビールを大飲みしたことがある。実はビール好き。

★面倒見が良く、修道女の結婚相手を探す活動もしていた。どうしても相手が見つからなかった修道女カタリーナとは自分が結婚した。ときにルター42歳、カタリーナ26歳。子供も6人できた。

フランシスコ・ザビエル

【基本事項】

〔身分〕カトリック教会の司祭(神父)・宣教師・イエズス会会員。日本へのキリスト教布教でも有名。
〔生没〕1506~1552年(享年46歳)

★ザビエルの本名は「フランシスコ・ジャッコア・アルピルクエルタ・イ・エチェベリーア」。民族的にはバスク人。

★ザビエルのように、頭のてっぺんを剃った、カトリック教徒の髪型を「トンスラ(tonsure)」という。当時のカトリックではごくありふれたヘアスタイル。

★ザビエルのミイラは現在、インドのゴアにあるボン・ジェス教会に安置されている。10年に1回だけ短期間公開される。次回は2014年。猛暑の中、大変な行列ができるらしい。

★ザビエルのミイラは少しずつ切り取られ、世界中のいくつかの教会に分散して安置されている。日本の東京カテドラル聖マリア大聖堂には胸骨が安置されている。

世界史に名を残したデカイ人々

【身長】 気がつくたびに追加

孔子(中国の春秋時代の思想家)  2m16cm
ピョートル1世(ロシア皇帝)   2m13cm
カール大帝(フランク国王・皇帝) 1m95cm

孔子

【基本事項】

〔身分〕思想家・政治家・教育者。儒教の創始者。
〔生没〕BC551~BC479(享年74歳)


【エピソード】

★孔子の身長は2m16cm。「長人」と呼ばれた。

トマス=クック

【基本事項】

〔身分〕実業家・世界初の旅行代理店の創始者。
〔生没〕1808~1892年(享年84歳)


【エピソード】

★「♪鬼のパンツはいいパンツ…」の歌詞で知られる「フニクリ=フニクラ」はトマス=クック社の登山鉄道のためのコマーシャルソングとして作られた。本来の歌詞は、この鉄道に乗っている男性が、女性に告白するかどうか悩んでいる場面を描写したもの。

ネルソン

【基本事項】

〔身分〕イギリス海軍提督・子爵。ナポレオンの強敵。
〔生没〕1758~1805年(享年47歳)


【エピソード】

★優秀な海軍提督だったが、船酔いしやすかった。

★1793年にコルシカ島の陸上戦で右目を失明、1796年にカナリア島の先頭で右腕を失う。右腕を切断した二週間後には軍務に復帰した。

★1805年にトラファルガー沖の海戦でフランス・スペイン連合艦隊を破るが、自分自身は狙撃されて死亡した。

★トラファルガーからイギリスまでネルソンの遺体を運ぶ際、腐敗防止のためにラム酒の樽の中に漬けられた。しかし、イギリスに帰艦する前に水兵たちが、このラム酒を飲み干してしまった。

シャルル7世

【基本事項】

〔身分〕フランス王(ヴァロワ朝・第5代)「勝利王」。英仏百年戦争時代の王。
〔生没〕1403~1461年(享年58歳)
〔在位〕1422~1461年(即位19歳、在位39年)


【エピソード】

★父のシャルル6世が発狂してから11年後に生まれたので、シャルル6世の実の子ではないと思われる。母はシャルル6世の弟と密接な関係があったので、そちらの子供かもしれない。

★百年戦争では不利な状況だったが、ジャンヌ=ダルクが現れてからフランスに勢いがついた。ジャンヌ=ダルク自身はイングランドに捕らえられて火刑で死去したが、シャルル7世の治世にフランス勝利のうちに百年戦争を終結した。

★晩年は息子(後のルイ11世)との対立に苦しみ、息子の一派に毒殺されることを恐れてノイローゼとなり、食物を口にすることができなくなり餓死した。

シャルル6世

【基本事項】

〔身分〕フランス王(ヴァロワ朝・第4代)「親愛王」「狂気王」。英仏百年戦争時代の王。
〔生没〕1368~1422年(享年53歳)
〔在位〕1380~1422年(即位12歳、在位42年)


【エピソード】

★1392年、「裏切り者に暗殺される」という思い込みから発狂した。

★1393年、やや精神が回復し、王妃の主催した仮面舞踏会に参加。王は貴族5人と共に毛むくじゃらの野人に変装して「野人の踊り」を披露しようとした。すると松明の火が毛むくじゃらの衣装に燃え移った。王自身は助かったが、4人の貴族が焼死。この事件によって再び発狂した(百年戦争中に王みずから何をやっておるのか?)。以降、死ぬまで正常に戻ることはなかった。
 当然イングランドにこのような混乱につけこまれ、フランス軍は大いに不利となった。

ジャン2世

【基本事項】

〔身分〕フランンス王(ヴァロワ朝・第2代)「善良王」。英仏百年戦争時代の王。
〔生没〕1319~1364年(享年44歳)
〔在位〕1350~1364年(即位31歳、在位14年)


【エピソード】

★1356年のポワティエの戦いでイングランド軍に敗れ、エドワード黒太子に捕らえられた。1360年のブレティニ・カレー条約で、身代金としてエキュ金貨300万枚(現在値換算額不明)の大金を支払うという約束で解放された。フランスに帰国したジャン2世は新たな税を創設するなど必死に金を集めたが、所定の額を集めることはできなかった。
 約束を破ることを恥じたジャン2世は自らイングランドに戻り捕虜となった。そしてロンドンで捕虜として生涯を終えた。ジャン2世の誠意に感心したエドワード黒太子は、捕虜とはいえジャン2世を厚く遇した。

ゾロアスター教

【基本事項】

 主に古代のイランなどで信仰された宗教。ゾロアスター(ツァラトゥストラ、生没年不明)によって創始されたとも、改革されたとも言われている。
 光の神アフラ=マズダーと闇の神アンラ=マンユの戦いを説く。現在はインドなどに少数の信者がおり、「パールシー(ペルシア人)」などと呼ばれている。


【エピソード】

★死体を鳥に食べさせて、魂を天に昇らせるという「鳥葬」が伝統的な葬儀。「沈黙の塔」と呼ばれる施設の中で行われる。ただし現在のイランでは鳥葬は禁止されている。インドのムンバイにはいくつかの「沈黙の塔」があり、ときどき鳥葬が行われている。

★日本の自動車会社「マツダ」のロゴは「MATSUDA」ではなく「MAZDA」と表すが、これはゾロアスター教の光の神アフラ=マズダー(Ahura Mazdā)の「Mazdā」とかけたため。

★ゾロアスター教の聖職者の称号「マギ(Magi)」が「マジック(Magic)」の語源となった。

★火を神聖なものとすることから「拝火教」とも言われる。現在イラン中央部の都市ヤズドには3万人ほどの信者がおり、拝火教寺院では1500年以上前から消えることなく燃え続けている聖火がある。信者以外にも寺院は開放されているため、聖火を見学することができる。

※ついでながら、日本でも1200年以上燃え続けている火がある。福岡県新宮町上府の横大路家住宅(通称「千年家」)。805年に最澄(伝教大師)がこの家に滞在した際、唐から持ち帰った「法火」をこの家のかまどに分け、それ以来1200年、44代にわたる当主が現在まで火を守り続けてきた。重要文化財に指定されている。

★イギリスのロックバンド「クイーン」のボーカルのフレディ・マーキュリーは両親がゾロアスター教徒のペルシア系インド人。本名はファルーク・バルサラ。イギリス領タンザニア(当時)生まれ。

★インドのタタ財閥の一族はゾロアスター教徒。
 昔、イギリスの東インド会社がインドを支配する際、宗教間の分断を狙い、少数のゾロアスター教徒を支配的な地位に置いたことが、インドのゾロアスター教徒の経済的発展を高めたと思われる。

★インドの第3代首相インディラ・ガンディー(初代首相ネルーの娘)はヒンドゥー教の最上位階級バラモン出身だが、夫のフェーローズシャーはゾロアスター教徒。
 バラモン階級が異教徒と結婚するということで周囲の猛反対にあったが、「建国の父」マハトマ・ガンディーの応援もあって結婚にこぎつけた。なお、インディラ・ガンディーとマハトマ・ガンディーの間には血縁関係は一切ない。 

★アフラー=マズダはアーリア人の移動に伴ってインドにも伝わり、阿修羅(アスラ)となった。

★アフラー=マズダは、真言密教の大日如来に影響を与えたとも言われている。

アレクサンドロス(3世、大王)

【基本事項】

〔身分〕マケドニア王・エジプトのファラオ・ペルシア王・アレクサンドロス帝国君主(同君連合)
〔存命〕BC356~BC323年(享年32歳)
〔在位〕マケドニア王:BC336~BC323(即位時20歳、在位12年)
    エジプトのファラオ:BC332~BC323(即位時24歳、在位8年)
    ペルシア王:BC328頃?~BC323


【エピソード】

★トランプのクラブのキングのモデルとされている。他の3枚のキングは、スペードがダビデ王、ハートがカール大帝、ダイヤがカエサル。

★父フィリッポス2世の家系は、ギリシア神話の英雄ヘラクレスの末裔を称した。
 母オリュンピアスの家系は、ギリシア神話の英雄アキレウスの末裔を称した。
 つまりアレクサンドロスはヘラクレスとアキレウスの二人の英雄を祖先に持つことになる。
 アレクサンドロス自身はアキレウスに憧れた。 

★左右で瞳の色が違った。片方はブラウン、もう片方はブルーだったと考えられる。

★少年の頃、王宮に連れてこられた暴れ馬を見事に乗りこなした。この馬を乗りこなせたのは彼だけであり、ブケパロス(ブーケファロス)と名付けられ、以後ずっと苦難を共にすることになる。

★アジア遠征前に神託所へ行き、休みだったにもかかわらず巫女に神託を聞くように強要した。巫女がいくら断っても神託を求めるので、巫女がうんざりして「あなたは負けない人ですね」と言うと、「その言葉を聞きたかった」と言って満足して帰っていった。

★コリントスで「樽に住む哲学者」ディオゲネスと出会ったとき、アレクサンドロスが「何か望みはあるか?」と尋ねると、「日光が遮られるので、そこをどいてほしい」とディオゲネスが答えた。
 まったく欲望が無く、ひょうひょうと生きるディゲネスを見て、「もし私がアレクサンドロスでなければ、ディオゲネスでありたい」とつぶやいた。

★アジア遠征でゴルディオン(現在のトルコの首都アンカラの近くの町)に立ち寄ったときの話。ゼウス神殿に、一台の戦車(馬が引く大昔の戦車)が飾られていた。この戦車を馬につなげる柄の部分にはロープが複雑に縛り付けられており、「この結び目を解くものはアジアの王者となる」と言われていた。
 アレクサンドロスは剣でこのロープを切り放ち、「運命は伝説によるものではなく、自らの力で切り開くものである」と宣言した。

★イッソスの戦い(BC333年)では、ペルシア王ダレイオス3世を破り、王妃と王の母を捕らえた。当時は、捕らえられた王妃は夜の相手をさせられたりすることも珍しくなかったが、アレクサンドロスは王族として丁重に扱った。そのことを知ったダレイオス3世は感動して「もし自分が王でなくなるとしたら、代わりにアレクサンドロスを王としてください」と神に祈った。

★逃亡中のダレイオス3世が部下のベッソスに殺されると、王にふさわしい盛大な葬儀を行なった。ベッソスがペルシア王を自称して抵抗すると、これを捕らえ、王殺しの罪で処刑した。

★性的には両刀遣い(男女ともにOK)だったが、男性をより好んだ。

★アニメ「宇宙戦艦ヤマト」に登場した星「イスカンダル」はアレクサンドロスのアラビア語の名前。

★『旧約聖書』のダニエル書8章に登場する、大きな1本の角を持つ雄ヤギはアレクサンドロスのことと解釈されている。その角が折れた後、小さな4本の角が生えると記されており、アレクサンドロス死後に帝国が4分割されることを予告したとされる。

★『クルアーン』の第18章(洞窟章)の83節から98節に登場する、「ズ・ル・カイナイン(二つの角を持つ王)」はアレクサンドロスのことと解釈されている。アッラーから力を与えられ、三つの遠征をした、徳の高い大王として記されている。

★伝説だが、透明のガラスの樽に入って、海中を探検したと言われている。もし本当だとすると史上初の「潜水艇」による海中探検かもしれない。

フリードリヒ2世(大王)

【基本事項】

〔身分〕プロイセン王
〔存命〕1712~1786年(享年74歳)
〔在位〕1740~1786年(即位時28歳、在位46年)


【エピソード】

★女性嫌いでホモであった。

★若い頃は芸術にのめり込み、芸術嫌いの父フリードリヒ=ヴィルヘルム1世から厳しくされ続け、イギリスへの逃亡を図ったが失敗。あやうく父に殺されそうになった。フリードリヒと行動を共にしていた友人のひとりはフリードリヒの目の前で斬首された。フリードリヒはショックで気絶した。

ルイ14世

【基本事項】

〔身分〕フランス国王(ブルボン朝)
〔存命〕1638~1715年(享年76歳)
〔在位〕1643~1715年(即位時4歳、在位72年)


【エピソード】

★在位72年は史上最長の国王在位期間であり、子供・孫はみんな先に死んでしまったので、ひ孫のルイ15世が後継者となった。

★ヴェルサイユ宮殿での昼食は一般の国民に公開されていた。ルイ14世は「ゆで卵を召し上がるのがお上手」という評判だった。

ジャン1世

【エピソード】

★1316年11月5日に誕生と同時に即位し、史上最年少国王となった。その五日後に死去したため、史上最短の在位の国王にもなった。父はルイ10世(カペー朝)。

(注)20世紀初頭のポルトガルのルイス・フェリペはギネスブックに「世界一在位期間の短い国王」として認定されているが(在位約20分)、父王と一緒に襲撃されて、父王より20分遅く死去したという特殊な事情のため、ここではジャン1世を史上最短在位とする見解をとった。

ハンニバル

【基本事項】

〔身分〕カルタゴの将軍。カルタゴは共和政ローマ最大のライバル
〔存命〕BC247~BC183年(享年63~64歳)


【エピソード】

★スペインのバルセロナは、ハンニバルの家名「バルカ」が語源で、「バルカ家の町」という意味。

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